見光山 眼性院 大念寺

見光山 眼性院 大念寺

開山: 本蓮社源譽哲道(明暦三年十一月四日寂)
開基: 佐藤出雲守信辰
開創: 明暦の初
明暦の初め、代々後北条氏に仕えていた佐藤出雲守信辰が本蓮社源譽哲道を請じ、五十坪の堂宇を建立したのが初めと言われ、相模風土記には「相州四之宮村大念寺屋舗之儀、当時地は古地頭、伊丹播磨守康勝殿、大久保与一郎殿、服部兵吉殿、の寄進するところなり。三氏が寺基を献じ、源譽哲道を請じ開山したと述べている。開基信辰は寛永十四年十二月四日(1637年)に歿して大念寺に葬るとすれば寛永年間、若しくはそれ以前の建立であると推測する。現在大念寺の過去張は元禄二年以後の物からしか現存せず、それ以前の過去張はなく確かな事は分からず。明治四十二年大野小学校の新校舎落成祝賀会で、盛んに花火を打ち上げたところ不発のまま大念寺の草葺き屋根に落ち大火事を引き起こし、当山の山門以外は全て全焼した。また、四之宮旧家のほとんどが全焼し由緒ある古資料のすべてが喪失してしまったと伝えられている。其の時に過去張は消失したかもしれない。その後、大念寺 第十七代 真常和尚が大正六年本堂再建した。
戦後農地法では畑二町二段三畝、宅地五十坪を失い、唯二段歩のみ墓地予定地として残されたに過ぎず、寺門の経営困難に陥る。現在は湘南銀河大橋の新道の道路拡張の為南側の墓地半分を削られ、墓地の整備並びに本堂・山門・観音堂の再建を行い現在に至る。平成十八年五月六日に先代住職・善譽諦生和尚の代に完成の落成慶讃法要が行われた。本尊 阿弥陀如来は(二尺五寸)、平安時代の仏師・定朝作、京都宇治の平等院の阿弥陀如来と同じ仏師と伝えられている。現在檀家数三百八十戸を数えている。